あの日宇治にいた響けユーフォファンの話
2019年7月18日
京都アニメーション 放火事件
それが起きた日、私は宇治のとある病院にいた。
大学生の頃、「響け!ユーフォニアム」に夢中になった。
その後卒業して、実家から通える場所で数年働いたが、いつまでも続けられる仕事ではなかったので、これからどうしようかなあなんて考えながら働いていた。
そんな中、知人から仕事を紹介された。
「知り合いが宇治の病院で人を探している」
聞いた仕事内容は魅力的な上、「宇治」という言葉に私は「受けたい!」と即答した。
響け!ユーフォニアムの舞台である宇治。一度聖地巡りにも訪れた、憧れの場所だ。
返事通り私はその病院の面接を受け無事内定を貰い、仕事の契約期間が切れると同時に宇治に引っ越した。
宇治に住み始めて、響け!ユーフォへの想いはより強くなった。
予定のない休日は自転車を飛ばして聖地巡りに行った。
高校吹奏楽自体にも興味を持つようになり、演奏会やマーチングイベントを見に行くようにもなった。
仕事は思っていたものとは違い少し残念だったが、響け!ユーフォに出てくる地名が飛び交う環境で暮らしているだけで楽しくて仕方なかった。
「火災が起きた。京都アニメーション。六地蔵の方。搬送が増えるかもしれない」
一瞬、京都アニメーション=京アニであると認識できないくらい混乱した。
しばらくフリーズした後、ようやく状況を認識した。京アニで働く知人が2人いる。
私は慌てて1人目の友人に連絡した。友人は基本大阪勤務で、その日も大阪にいたので無事だったが、返ってくる返事は短く、友人も混乱しているようだった。
もう1人は直接の連絡先は知らない遠い知人ではあったが、京都勤務でアニメーターとして働いていることは確実だった。共通の知り合いに連絡したところ、LINEを送っているが既読が付かないという。
大好きなアニメ会社、飛び交う情報、搬送されてくる負傷者、増える死亡数、10分間隔で訪ねて来るメディア、知人の安否、いつもの業務。
あの日どんな気持ちで定時まで仕事をしたのかは覚えていない。
家に帰ってテレビをつけると、どのチャンネルでも火災の報道。時間が経つにつれ、死亡数の数は増えていく。ようやく現状を実感し、涙が出てきた。
次の日も、相変わらず職場は騒がしかった。
周りの人達は、うちに何人搬送されただとか、どの病院にどのくらい搬送されただとか、次々と来るメディアの対応だとかで、まるでお祭り騒ぎだった。
病院としては事件そのものに悲しみの気持ちを向けている場合ではないし、医療機関としては正しい対応だと思う。だけど、周りの反応と自分の気持ちとはあまりにも差が大きく、息が詰まりそうだった。
それから、毎日毎日泣いていた。
こんな形で京アニに関わりたくて宇治に来たわけじゃないのに。
こんな形で京アニを支えるために宇治に来たわけじゃないのに。
ジブリにも負けないくらい細かい作画とずば抜けた表現力が武器の素晴らしいアニメ会社なのに、「事件があったアニメ会社」として今後世間に認識されるのかと思うと、悔しくて悔しくて仕方ない。
海外のクラウドファンディング、アニメイトの募金、京アニ口座への支援筋。寄付できるところには全て寄付したが、大部分がお金で解決出来る問題ではないことは分かっているので、もどかしくて悔しくて仕方ない。
何度も考える。7月17日に戻りたいと。
7月17日、事件の前日。
私はその日、予定があったので休みを取ったものの、その予定がなくなってしまったのですることもなく、家でゴロゴロしていた。
あの日に戻れたなら、あの日の自分に会えるのなら。
六地蔵まで行って、警察に「ガソリンを大量に持った怪しい人がいる。ライターも持っている。バッグからは凶器のようなものも見えた」と通報するのに。
そうすれば事前に捕まえることができたかもしれないのに。あの事件を防げたかもしれないのに。今頃、京アニは「大量殺人が起きたアニメ会社」ではなく「高い技術と表現力を持つアニメ会社」という印象から変わらないでいたのに。未来あるクリエイターは更に技術を高め、来年、再来年、そのずっと先にも公開されるアニメに携われ、将来秘めた才能を発揮させる人も現れたかもしれないのに。
ここがアニメの世界なら、私や私以上に強い想いを持つ誰かがタイムスリップして多くの命を救えただろう。
でも、当たり前だけど、どんなに強く願っても現実では、時は同じ方向にしか進まない。
今日、亡くなった一部の方の名前が公表された。
正直私はアニメ監督やキャラクターデザイナーには疎いため、何の作品に関わった方達なのかは名前を見ただけでは分からなかった。
調べると、ユーフォに関わった方達もいるらしい。でもまだピンとは来なかった。
誓いのフィナーレのパンフレットを開くと、スタッフ対談メンバーの中に、さっきネットで見た名前があった。急に涙が止まらなくなった。
今まで何も知らなかったくせに、虫のいい話だとは思う。
でも、大好きな大好きな人生感すら変えてくれた作品に携わった人が悲惨な事件に巻き込まれという事実をまた改めて実感した。押しつぶされそう。
このブログに綺麗なまとめはありません。まとまりません。
知人の安否はまだ分かっていない。
早く前を向いて応援したいけど、さすがにまだできません。
好きな映画を聞かれると
「特にない」と答え続けてきた人生だった。
映画をよく見る方ではないが、一人暮らししてから映画館に足を運ぶことは多くなったし、TSUTAYAで映画を借りて見ることもかなり増えた。
面白かったと思う映画はあった。
でも、思い出しては余韻に浸れるような映画がなかったのだ。
一昨日の午前中までは。
「響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜」にこんなにも心を打たれ、人生を見つめ直すきっかけになるなんて思わなかった。
元々大好きなアニメシリーズで、それこそ「好きなアニメは?」と聞かれたら答える作品のうちのひとつではあった。
今回の映画も楽しみにはもちろんしていたが、見る前までは「わーいユーフォの新作だ〜」くらいにしか思っていなかった。
劇場を出た直後、鼻をすすりながら、ほぼ本能的に売店へパンフレットを買いに行っていた。
しかし、その時もまだ、あのシーン良かった〜と余韻に浸り、思い出し泣きをしていたくらいの、よくある「良い映画を見た後」だった。
しかし、家に帰って改めて映画を思い出しながら、私は自分の将来を真剣に考えていた。
「全国大会金賞」を見つめて吹奏楽に取り組む彼女達とは10くらい年が違うけど、そんな私でもまだ夢を見れるんじゃないか。
小さな一歩から出来ることがあるんじゃないか。
アニメ映画なんかで、と思われるかもしれないが、そのアニメと同じように部活に真剣に取り組む高校生や中学生は、実際にこの世に存在する。
私は、今まで真剣に全力で何かに取り組んだことがあっただろうか。
部活には入っていたが、大会などなかったし、同じ趣味の人を学校で見つけるために入っていたようなものだった。
麗奈はアニメ本編でも言っていた。
「生きた証を残したい」
私は今みたいな状態で生き続けて、生きた証を残せるような人間になれるのだろうか。
そう強く思ったのは、作品そのものだけでなく、そのスタッフロールに友人の名を見つけたのも大きな理由だと思う。
学生の頃に、ユーフォ面白いね、ここのシーンが、あの時の描写が、なんて語り合っていた友人の名前が今、作品の公式パンフレットに載っている。
以前から話は聞いていて知っていたけれど、改めて目に見える形でそれを実感した。
あくまで大勢いるスタッフの中の一人に過ぎないので、それは「生きた証」と言えるほど大きなことではないだろう。
でも、あの頃憧れでしかなかったものに自分の力で関わっている友人に、感動し、尊敬し、嫉妬した。
私には十分「生きている証」に見えた。
私も自分の力で何かを成し遂げたいと、強く感じた。
今の仕事に、現状に、全く納得していないから、尚更。
映画を見た次の日、私は「やりたいこと」の準備を少しだけした。
やろうと思って今すぐに取り組めることではないのでもどかしさはあるが、仕事に満足していなくとも休暇はとりやすい今の職場にいる間に、やれることをやってみよう。
「生きた証」はいきなりハードルが高いかもしれない。
まずは、自分に自信を持って、誇りを持って自分を表現できるような。
そんな人間を目標に、遅めのスタートを、私は、今。